供述心理学研究所・埼玉

心理学的な合理性


 物理的・客観的な事実や合理性と,心理的・主観的な事実や合理性はしばしば著しく対立します。そのもっとも単純な例の一つが「錯視」と呼ばれる現象です。たとえばポッゲンドルフの錯視図形を見てみましょう。


 二本の平行線に直線が斜めに交わっています。その斜めの線は実は同じ直線上にあります。嘘だと思われる方は図の上にマウスのポインタを乗せてみてください。物差しを当ててごらんになっても結構です。

 今ここで現に起こっていることは「斜めの線はズレた二本の線である」という自分の主観的な体験事実と,物差しを当ててみてわかる「斜めの線は一直線上にある」という物理的・客観的な事実(または客観的な体験)が折り合わないという現象です。面白いことに,このズレは「客観的には同一線上」ということを確認した後も消えません。そのような心理的な体験の世界はとても安定したものなのです。

 心理学はこのようなズレを手掛かりに,物理的世界の理解では単に「過ち」とか「不合理」にしかならない心理的体験の世界が,どういう論理で成り立っているのかを分析していきます。そのようなズレた主観的世界は,でたらめに成り立っているのではなく,何らかの法則性を持っていることが多いからで,さらにその「過ち」に実際上の重要な機能が見出されることも少なくありません。そこには「心理学的な合理性」が存在しているのです。

 同じようなズレは,社会的な常識との間にも生じ,供述の評価にあたってしばしば大きな問題になります。

 ここでは具体的な事件で問題になるようなズレについて,いくつかご紹介しましょう。次のような評価は「常識」としてそのまま判断の基準にしてもよいでしょうか。

  
 自白は自分に不利な結果をもたらす。後に自白を覆すことは本人の利益になる。特に死刑などの重罰が想定される場合はその利益は明白である。
 従って捜査段階で行った自白は,拷問などの特段の理由がなく,自発的に行われたと考えられる場合には,基本的に信用でき,逆に公判段階での否定は信用性がない。

 この問題は,日本では供述心理学研究所(京都)の浜田寿美男所長が数々の死刑判決事件で突き当たり,格闘してきた「常識」になります。冷静に,客観的に,常識で判断すれば明らかに虚偽自白は「不合理」なことで,よほどの事情がない限りは生じないように思えます。しかし現実にはすでに冤罪として確定し,さらには真犯人まで明らかになっているような数々の事件では,その「不合理」で「非常識」な自白が繰り返し確認されています。浜田さんは「客観的」な理解の構図に対して,当事者が生きている現場に視点を置いた「渦中の心理学」を追求し続け,心理学的にも裁判実務の面でも,重要な成果を積み重ねています。

 (参考文献)
  浜田寿美男 2001
  自白の心理学 岩波新書      など

 ある出来事について,事実が何かを明らかにする目的で目撃者のAさんに尋ねたところ,Xと答えた。
 記憶違いや思い違いなども考えられるので,念のためBさんに尋ねたところ,今度はYと答えた。そこで事実はどうなのかを確認するために,引き続きCさん,Dさん,Eさんに順に尋ねると,いずれもXという答えだった。
 このため再確認にしばらくしてからもう一度全員に個別に尋ねたところ,Bさんも含め,全ての人が間違いなくXと答えた。
 聞き取りはあくまで事実を明らかにするために行われ,ひとりひとり個別に聞き取られ,他の人がどう答えたかは伝えておらずお互いに相談する機会もなければ,嘘をつく理由も見当たらなかった。
 以上の結果,Xは客観的に確認された事実と評価された。

 これについては別項でもう少し解説しますが,「客観的事実とは何か」という,事実認定の根本問題にも関わるような例になります。常識的には疑いようもないように思えるこの評価基準は,私たちのシミュレーション実験であっさりと覆されてしまいました。正解は実はYだったのです。

 すなわち「誰も嘘をつこうとせず,誰も嘘を言わせようとはせず,ただ事実を明らかにしようとする意図のもとで聴取を個別に繰り返した結果,全員の証言が一致した。聴取者はそれが事実であることを全く疑いようもなかったが,しかし事実は異なっており,全員が一致し,確信する供述内容は<虚偽>であった。」ということが現実に起こることが確かめられたばかりでなく,それが起こりやすい条件や発生の心理学的メカニズムも分析が進んできています。

(参考文献)
 山本登志哉 2008 
  供述に於ける語りとその外部
    :体験の共同化と「事実」を巡って
    サトウタツヤ・南博文編 質的心理学講座第三巻
    社会と場所の経験 所収
    東京大学出版会
 私たちの日常生活はさまざまな「常識」によって支えられており,さらには「合理的で理性的な判断」というものが存在します。それは私たちの現実の生活やこの社会を支えるものであるだけに,強固に安定していて,簡単には疑いえません。裁判の事実認定でもこの「常識」や「合理的で理性的な判断」は多用され,多くの事件で供述評価の判断基準に用いられています。

 しかし,実際の供述は,前者のように「身柄を拘束された取調」という「非日常的な世界」の中で行われる時,日常の常識では理解できない独特の「心理学的合理性」に支配される場合があります。またそのような特殊な事態でなくとも,後者のように日常の中で「客観的事実」が「集団的に共有される」プロセスには独特の論理が働き,「異なる主観の間で見解が一致する」ということが,なんら客観的な事実性を保証しないという事態が一種の心理学的な必然としてメカニカルに生じ得ます。

 供述心理学は,そのような「非常識」の「合理性」にも注目し,安易に「客観的合理性」のみに依拠してしまうことなく,当事者がその場で生きる渦中の視点,主観的な見えの世界の構造をも重視して心理学的分析を進めていきます。

 心理学的な合理性については,以下の参考文献に寄稿した一章の中で鑑定事例を取り上げながら理論的にも整理して説明を行いましたので、参考になさってください。


  (参考文献)
   山本登志哉 2017 
   供述分析と心理学的合理性
   (浜田寿美男編:供述をめぐる問題
   シリーズ 刑事司法を考える 第一巻
   岩波書店、第3章、43-64)